闇。
一面に続く・・・、闇。
光あるところに世界は存在するのだろうが、闇だけでは世界は存在しないに等しい。
ただ所々に、何か発光しているかのような僅かな明るさのおかげで、ようやくそこは建物の内部だと見て取れた。
虚無より空しい、瓦礫にまみれた廃墟の跡である。
この荒廃ぶりは人間が住まなくなったからなのか、それとも人間が住めなくなったからなのか・・・、いずれにせよ今この場にいる影達には、全く意味のないことであった。
この常人であれば五分と耐え切れないであろう気も狂わんばかりの荒んだ“闇”にも平常でいたれる者達がいるとすればそれは、何よりも“闇”の世界に相応しい住人達かもしれなかった。
彼等によって、ようやくここは一つの世界を形成し得るのだ。
だがこの場にもっとも相応しからぬ濃密で淫靡な甘い毒にも似た香りと、冷たく乾ききった“気”が、荒んだ虚無感をより色濃いものとしている。
盛り上がった土の台座の上に、白く輝くケープを纏った麗人と、その躰(からだ)の下に全身の肌が濡れ光ったような全裸の青年が組み敷かれて横たわっていた。
麗人がかすかに動くたびに、青年は激しく仰け反り喘いだ。
その“行為”自体には何の意味もなかった。
そのしばらく前にケープの主は言ったのだ。
“手術代だ”
青年はそれに応えた。
“手術代です”
そして青年は優雅に誘いをかけるように片手を伸ばした。
それだけである。
この“行為”は、ただそれだけのことであった。人間的な精神(こころ)の在り方を、この者達に求めるのは無理な話であった。
だがこの時この影の主達にもっとも似つかわしくない、あまりにも人間的ともいえる感情が、その胸に去来してはいなかっただろうか。
喘いで狂おしいまでにケープの主から与えられる愛撫を貪ろうとする青年も、あくまでも冷ややかに“行為”に没頭する白い麗人も、その精神(こころ)は同じ一つの目的と一人の若者とに占められているのだった。
その若者・・・・・・。
闇にも光にも似つかわしい―――――彼等よりも。
青年はケープの主が本当は誰を抱いているのか知っていた。
それはただの“手術代”だけとはとても思えないような執拗なまでの愛撫で判ったのだ。
何度も残酷なほどに官能の淵まで追い詰められては無残なまでに引きずり戻される。
それがこの青年の嗜虐的ともいえる資質を煽り立て、必要以上にその“行為”にのめり込ませていくのだった。
唇を吸われ、足を抱えられ、深く抉り込まれる。
一切抵抗しなかった。
むしろより一層求めようと、あられもない言葉を何度も口走った。白いケープの主は冷ややかにそれを受け止めた。こちらもこの青年が本当は誰を相手にしているのか、充分に承知しているのだった。
やがてどちらともつかないうめき声が上がり、世界はより深い闇へと包まれていった。
「起きたまえ」
白い医師の鋼のような声に、浪蘭幻十は眠りから醒めた。
いつのまにか自分は寝ってしまっていたらしい。
声の主の方を見やると、白い医師は粗末なスチールの椅子に腰掛けていた。背後は暗闇だが、それでもうっすらと荒れ果てた室内が見て取れる。
およそ“美”などかけらも存在しないこの空間においても、それでもたまらなくこの医師は美しい。
まるでどんな場所にあろうとも“美”の基準は己が決めるとでもいうように。
荒んで朽ちた景観ですらも、背徳的ともいえる美しさへの供物へと変えてしまう、ドクター・メフィストであった。
その冷厳さすら感じさせる雰囲気に、先程までの“行為”の悦楽のなごりは、もはやない。
この医師も只の人間ではないのであった。
“確かにゆっくりとしてはいられない・・・”と呟きつつ、それでもえらくだるそうにガウンを躰に羽織ったのは、いかに幻十といえもど、あれだけ長時間にわたって責められたのでは、たまったものではなかったからだ。
幼少の頃より帝王学と英才教育を身につけてきた幻十であったが、相手は人間の身体について知悉しぬいているドクター・メフィストである。
まるで自分は大海に漂う木の葉のように、弄ばれ、嬲りつくされた。
だがそのことを恥とは思ってはいない・・・。
これは“手術代”なのだ。
すなわち・・・―――――、せつらを抹殺するために・・・・・。
その時、決してこの医師からもれるはずのない言葉に、幻十は我が耳を疑った。
「戦いをやめるつもりはないかね?」
幻十はいぶかしそうに白い医師を凝視めた。
そしてさらに信じられないものを、その医師の瞳の奥に見出しはしなかったか。
何故なら、それはあまりに人間臭い・・・。
白い医師はさらに言葉を繋いだ。
「君はせつらを愛している」
愛している?
そんなことは解りきっている。
だが、それがいったいなんだというのだろう。
この医師に似つかわしくない、つまらぬことを言うものだ。人並み以上の人物だと思ったが、しょせんはつまらぬ人間の感情の基準でしか計ることのできない愚かな町医者に過ぎないのだ。
それならば、ぼくが崇高な神の域へと昇格して差し上げよう。
幻十はガウンを肌の上から優雅に滑らせ、床の上にゆっくりと落とした。
それは床の埃を跳ね上げ、幻十の心の模様のように幾重にもわだかまって動きを止めた。
白い医師に触れる。
体温はまるで感じられない。
抱かれていた時には、まだかすかに温かかったはずだが・・・。
かまわない。
偶像は崇めるためにあるものだ。
祈りを捧げ、自らの望みを叶える為に存在するのだ。
そこに人の血の温かさを求める必要はない。
「ぼくの勝利のために―――――祝福を・・・・・」
これが祈りだ。
何よりの望みだ。
“愛”などという甘ったるい感情よりも、遥かに勝る。
しばらく二つの彫像は静かに佇んでいたが、やがて片方の白い影がすいっと音もたてずに離れた。
「手術代は貰った」
それは幻十との関わりの一切を、すでに終えていることを意味しているようにも聞こえた。そしてどのようにして出て行ったものか、白い影の気配は跡形もなく消え去ってしまった。
幻十は独り残された。まるで最初からずっと、そうしていたように・・・・・。
震えている。
たまらなく、躰が震えている。
眼を固く閉じて、己が両腕で自らの躰を抱き締めていた。
これは怖れからではない。勝利を前にした、歓喜からくる震えなのだ。
幻十は強くそう思い込もうとした。そのまま両膝を床につき、首をうなだれる。
貌は苦悶に満ちていた。
せつら・・・・・・・。
かすかに開く唇の間から、そんな名前が漏れたのかもしれない。
たまらなく愛おしい者の名を呼ぶように・・・。
また、憎しみを込めた相手の名を呼ぶように。
“おまえはいつも、ぼくの夢を支配してきたよ”
夢―――――――。
浪蘭幻十の視る、夢。
土の中で眠っていた時に、実に様々な夢を幻十は視ていた。
それらはすべて真の闇の中でしか視られないような、欲望と絶望と栄光と破滅と、かすかな希望とがないまぜになったものばかりだった。そしてそれらの夢は一人の若者を中心に架空のドラマを螺旋状に描き、幻十の記憶に注ぎ込まれ続けてきたのだ。
侵食し、精神を蝕み続けながら。
十五年間ずっと。
その中の、ひとつの夢。
だがもっともそれが本当にあったことなのか、ただの夢に過ぎなかったのか、幻十にはもう判断することはできなかったが・・・。
万華鏡のように様々な景色が渦巻き、遥かな過去へと世界が一変した刹那、ふいに幻十の眼の前にあどけない天使にも似た美童が姿を現した。小首を傾げて、じっとこちらを視ている。
「もうずっと前から、決められていたことなんだよ。ぼく達の宿命なんだ。そうだろ?」
声は幼いが多少いい訳じみたこれは、自分が放った問いに違いない。
「ふーん」
眼の前の小天使は可愛らしい桃の花びらのような唇をとがらせながら、不満そうにそっぽを向いてしまった。
そしてくるりと振り向いて、真っ直ぐに自分を凝視めてくる。
「なぜ?」
何故・・・・・・・?
ああ、せつら・・・その答えが解るものならば―――――何もかも・・・・・・・。
幻十の躰の震えは瘧(おこり)に罹ったように止まらなかった。
父の声がする。
“おまえは選ばれた者なのだ!”
お父さん。それなら、彼は?
彼もそうではないのですか?
だがこの世界に覇者は二人とはいらない。
どちらかが滅びねばならないとしたら・・・―――――。
それは、いったいどちらが?
“ナゼ・・・?”
せつら・・・・・。
今のおまえなら、その答えを教えてくれるだろうか?
それが解れば、ぼく達はもう・・・・・。
幻十の思考がそこまで達した時、彼の躰はゆっくりと前に倒れ胎児のように丸い形をとって、深い眠りに墜ちていった。
Fin
◆後記◆
えー、これは 『魔界都市ブルース・シリーズ』 でいうとどこらへんのお話かというと、このシリーズを読んでらっしゃる方はお判りのように 【魔王伝】 あたりのお話です。
ただこの話自体は、もともと同人誌に収めていた 『魔王伝-After-』 という漫画の “前編” の冒頭の部分の補足説明のような (まあ、幻十の側からの心情を書いてみることを試みたという) 小説でありまして、本来この同人誌の “後編” に収めるはずのものだったのですが、2000年以降の諸事情により同人活動どころではなくなっていたために、書いてはあったもののあてもなく、例のごとく放ってあった物なのでした。
同人誌活動の予定が今もってたたないため、この場をかりて発表させて戴く事に致しました。つたない文章ですがお読み戴きまして、まことにありがとうございました。
浪蘭幻十というキャラについて、ちょこっと。
流石に彼はかなりぶっ飛んでいるキャラなので共感はできないのですが (笑)、秋せつらより自分にとってはたいそう解りやすいというか描きやすいキャラでして、そういう意味ではとても興味深いキャラでもあります。
また結構、萌えキャラ(笑) でもあるようで、当時リアルタイムでの同人界での 【魔王伝】 ブームとなっていたというのも頷けます。
御大もどこかで書いておられましたが、幼馴染でもありいずれは命を懸けて戦う宿命の相手というのがツボだったようです。
残念ながら自分としては、そこらへんはハマるツボではなかったようで、このシリーズのランク付けとしては 【魔王伝】 は高い位置にはありません。
(リアルタイムではなかったというのもあると思いますが)
ただ誤解のないように付け加えさせて戴くと、素材としてはとても高く評価していますし、必然として必要な物語であったと思います。ただちょっとツボではなかったというのと、あえてこれだけを特出して評価はしていないということなのです。
以前に同人誌を出した時も、いろんな方が 【魔王伝】 を同人として手がけてらっしゃるし、今更自分が描くこともないとは思ったのですが、でも描くとすればどういった切り口で描くのかがテーマでした。
その時考えたのは、これは 【魔王伝】 として描くのではなく、【魔界都市ブルース・シリーズ】 として描いてみようと思ったのでした。
何故ならば、このシリーズの主役 (?) というのはあくまでも 〈新宿〉 であって、彼らはいくら 〈新宿〉 の象徴と言われようとも、しょせんはその中の運命に支配されている存在の一人、またはドラマを見届ける役割を担っているだけにすぎない、という認識が強くあるからなのです。
のちに 【〈魔震〉戦線】 において、〈新宿〉 はせつらを選んだという下りがありますがそれにおいても、やはりせつらは主役ではありえなく言葉は悪いのですが、せいぜい狂言回しの猿の役どころであるのだといえましょう。
〈新宿〉 はどんな存在も受け入れはするけど、自らを支配しようとする者、侵そうとする者を許しはしない。・・・
実に魅力的な邑 (まち)を創り出してくれたものですね、菊地御大は。(笑)
話を 【魔王伝】 に戻しますが、せつらにしても結局は “魔王” にはなりえなかったわけで、真弓の存在も何もかもすべてが謎に終わってしまったわけなのですが、〈新宿〉だけが知っているということなのかしらん?う〜ん。
普通だったらさらにこれをネタに何冊か引っ張って本を出すところなのでしょうが、流石は御大。
思い切りが良過ぎるというか、物忘れが激しすぎるというか。(^.^)
結局、 【魔王伝】 は謎のまま終わってしまっているようです。
でも別の意味で話を引っ張ってくれたようで、キャラの過去の話は描かない主義の御大が出してくれた 【青春鬼】 のシリーズは、新旧の女性Fanをかなり喜ばせたみたいで、本の売り上げも相当良かったみたいですね。
私もせつらの学ラン姿には、かなり萌え〜でした。(結局それかい・・・爆★)
若い頃のせつらの姿をまた視たいと思っていたら (つまりは学ラン姿・・・しつこい!★) 、【夏の羅刹】 でまた出て来てくれて私としては大満足だったのでした。
でも、せつらは 〈区外〉 に行っちゃあ、ダメだと思いますよ。
破滅的なくらい人騒がせになるから。その美貌がね。(笑)
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