05+1

 と、ふいに若者が手の中にあった髪を引いた。
 白い医師の貌もついて来た。
 室内に淫らともいえる、危うい『気』が満ちる。
 若者が白い医師の黒髪を指に絡めたまま、静かに自分の貌を近づけていった。
 白い医師の眼に視線を留めながら、何かを囁いた―――――この上なく甘く、挑戦的に・・・。
 そして貌を斜めに傾けると白い医師の白磁の頬に、自らの唇を触れるか触れないかすれすれに滑らせる。
 白い医師は一瞬、瞼を閉じたがすぐに眼を開けた。
 貌をわずかに若者の方に向ける。
 若者は握っていた髪から手を離し、その手で白い医師の肩を摑むと、もう片方の手も同じようにそちら側の肩を摑んで、白い医師の身体を思いっきり自分の方へと引いた。
 そのまま共に、ソファへと倒れこむ。
 若者の身体の上へと折り重なった白い医師が、やや上体を起こして若者の貌を凝視めると、若者は微かに唇を開いて白い医師の名前を呼んだ。
 この若者がかつて、白い医師をそんなふうに呼んだことのないような声で。
 ―――――その声音で。



 その若者特有の、春の陽だまりを思わせるようなのんびりとした雰囲気は、とうに霧散していた。
 いつもの初夏の涼やかさを思わせるような澄み切った黒瞳は、妖しい輝きを沈めた昏い深淵のように変化して濡れていた。
 その淵へと身を沈めたいと望む者もいるだろう。
 若者が両手を白い医師の頬へと、撫で上げるように這わせる。 
 まるで愛撫するように。
 そして白い医師の後頭部に手を廻し、少し自分の方へと寄せようとした。
 優しく、促すように。
 もう一度、凝視め合う。

 若者はその透き通った繊指で、白い医師の朱色に染まっている唇をなぞった。
 何かを刻み込むように・・・。 
 そして自らの緋色の唇を、白い医師のそれに戦慄かせながら重ねようとした、その時―――――。
 いきなり室内は、眩い真っ白な発光色に包まれた。


 不可思議な時間が流れた。
 今まで互いに、決して持ち得なかったような・・・。
 その一瞬。
 その刹那。
 時が―――――――、止まった。




 いったい、何を望んで?
 長い年月の絆を見届けたくて。 
 何もかもを超えたくて。
 この空間も、この時間もすべてが彼等のものだった。
 あえかなる青白い煌めく光の破片だけが、その行く末を見守っている。
 この世では、見てはならぬものさえも。
 ―――超えて・・・。
 その腕にゆだねて。
 打ち震える鼓動を感じて。
 肌の下の熱い鼓動をすくい取って。
 もう言葉などいらないから、分かち合って。
 融けて、身体のずっと奥まで。
 触れて。
 哀しさも、美しさもいらないから。
 無限の想いも冷たい情熱も、今はいらないから。
 白い指で囁いて、受け留めてあげよう。
 疲れたこころも、何もかも。
 求める、そのままに。
 識(し)って。
 精神(こころ)を・・・。
 望んで。
 超えるために・・・。
 愛しき者よ。
 愛しき、愛しき者よ。

 せつら・・・・・・・―――――――――――――。




「そこまでだ」
 厳かな麗音が響き渡り、光はたちまちのうちにかき消えた。
 虹色の微かな残光だけが部屋の隅に残っている。
 古来、月の女神は嫉妬深いと云わなかっただろうか。
 せつらは寝転んだまま、眼をぱちくりとさせた。
 メフィストは身体を起こして、目元をほころばせてこちらを視ている。
「おしいがね」
 苦笑しているのかもしれない。
 いささか面白がってもいるようだが・・・。
 せつらはもう一度、眼を瞬かせた。
 もそもそと身体を起こす。
 いったい今、何をしていたんだ?
 せつら自身はまだよく理解はしていなかったが、この状態は先程の夜香と全く同じではなかっただろうか。

 二人の座っているところから数メートル先に、天上から一筋の光が差し込んで床に小さな光点をつくった。
 清らかで澄み切った白い光だった。
 まだ状況がよく呑み込めていないせつらを尻目に、メフィストはその光の方へと向くと、おもむろに口を開いた。
「私の“望み”を叶えてもらえるお申し出だったが、やはりよけいな口添えはいらん。自分の“望み”は自分で叶える主義でな。お引取り願おう」
 そう白い医師が告げた途端、その光は細い一筋の線のように細まり、名残惜しそうに滲んで消えていった。
 何かが始まり、何かが終わったのだ。
 そして、後に残されたものは、一体・・・―――。

「で?」
 黒衣の若者の咎める声を耳にした白い医師は、澄ました顔で振り向いた。
 いつもは春風駘蕩といった風情ののほほんとした煎餅屋の若主人だが、珍しく怒りを顕わにした形相でメフィストを睨みつけている。
「で?、とは?」
 白々しい口調で応える。
 いささかわざとらしさを感じるのは、この若者をからかっている証拠だ。
「やっぱり、おまえが原因なんじゃないかっ!」
 せつらが憤然とした口調で抗議する。
「なんのことだね?」
 かくていつものように、不毛な会話へと発展していくのであった。



 ―――― 蒼い月のさやけき晩は、外に出てはいけないよ。
        お月様に狂わされてしまうから・・・・・。――――


 その夜の混乱はある時間を境にぴたりと治まり、なんとかそれ以上の騒ぎは起こさずに済んだようだ。
 一連の騒ぎの原因については様々な憶測が飛び交ったものの、未だ〈区〉からの正式な発表はなされてはいないが、以前にもあった似たようなケースと共に、数限りない奇怪な〈魔界都市〉の逸話の一つとして、〈新宿史〉に残っていくのだろう。
 いつまでも過去の出来事の拘っていられる程、この街は暇ではない。
 〈区民〉もしかりである。
 人々はいつものように、また慌ただしい日常へと帰っていく。
 だがその中でもある一つの出来事だけは、しばらく〈区民)の間でまことしやかに囁かれる事になる。

 その出来事なのだがその騒ぎの起きた夜から数日後、旧区役所跡の病院の院長が西新宿の煎餅屋の若主人と共に、〈区内〉でももっとも評判の高級レストランで食事を摂っていたとの目撃情報が、〈新宿〉ネットの掲示板に書き込まれ、ただちに削除された。
 本来ならば書き込まれていた時間が僅か数分間だったという事もあり、その書き込みを眼にした者はそう多くはいなかったのでそれ程話題になるような事でもなかったのだろうが、その書き込まれた内容の人物達が人物達なだけに、否が応でも噂として広まったのである。
 なんでも当日のレストランは貸し切り状態で、その食事のメニューはたいそう豪勢なものだったらしいのだが、食事が終わるとその会計を、白い院長が全額負担したのだという。
 白い院長が何故そんな事をしたのかは、誰にも解らない。
 誰にも解らないが故に、それはまた新たな公然の秘密の噂として、人々の心に刻み込まれる事となる。
 だがこれはあくまでも未確認情報であり、信憑性も定かではない話という事で御了解戴きたい。
 そして例の月夜の事件との関連性も、はっきりと確認されてはいないのだった。


                               Fin




                          ◆後記◆ 
 この小説 『月の輝く夜は君とふたりで』 は、1998年の夏コミ用に発行した 【ブルースへようこそ・2】 の中に収めたものです。 わりと自分でも今まで書いていたものの中では気に入っていて、多少、加筆・修正はしましたが、ほとんど元の状態で載せました。
(本を出した時から、結末の終わり方が気に入らないところがあったのでそこはかなりいじってますけど、内容は変わりません)
 拙い文章ではございますが、最後までお読み戴きましてありがとうございました。

 この小説を書こうと思ったきっかけ・・・といいますか、元ネタは 『魔界医師メフィスト・シリーズ』 の 『月光鬼譚』 を読んでいて、思いついたものです。
 ストーリーそのものというよりも月夜に起こった怪異譚というあたりに触発されて、書いてみたくなったのではないかと憶えています。
 ハガキ投稿の方でも書いてましたが、 『月のさやけき晩に 人は静かに発狂する 』 という文章にとてもイマジネーションが沸きまして、思わずこういう事になっちゃったんですよね~。(^.^)v 〈何だ、こういう事というのは?)

 〈魔界都市〉というのは断然、夜が似合う街だと思います。 あと凍てついた冬のイメージとか・・・。
 でも自分が書いているパロの小説では、本人の好みもあるのでしょうね。 春辺りの話が多いんですよ。
 かなりお莫迦な話も書いてますんで、そうなると必然的に春先の開放感が出て来たあたりとか、木の芽時とかになっちゃうのでしょうか?(笑) かなり悪ノリして愉しんで書いてしまいます。
 漫画がシリアスかほのぼのとかが多いので、その反動じゃないかとも思います。 (^.^)
 また漫画と小説では、確かに表現方法もお話の読ませ方や進ませ方も全然違いますが、私の場合、小説の方がブラックでギャグっぽく書けるんですよね。
 自分の絵柄だとどうしても、面白いギャグな話とか描きにくいですし。。。

 ちょっと最近、原作様の【魔界都市ブルース】が御無沙汰ですが、(2006年4月現在)そろそろ今年辺り新作も期待したいところです。 (某企画でチラッとせつらには逢えたんですけどね・・・その事にはあえて触れますまい★)
 

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