02+1
 用心しいしい、何気ないように訊ねてみる。
「ここですぐに治るものなのかい?」
「診てみない事にははっきりとした結論は下せないが、この場でいくらかは君の具合は良くなるだろう」
「だけどいったん良くなっても、すぐに罹りやすくなるって聴いたけど?」
「そのために当病院では予防薬も検討中だ。とりあえず今は先に、一人でも完治する事に全力をそそいでいる」
 せつらはふうんと返事をしているものの、いまひとつ納得できないような顔をして腕を組んで立っている。
「何だね?」
 そんなせつらの様子を見越して、先にメフィストの方から質問をしてきた。
「おまえがうちに来たのって、僕の治療のためだけかい?」
「なんのことかな?」
 メフィストはしらっと、すっとぼけたように答えた。
「違うね。それもあるだろうけど、これは僕の考えだけど、ひょっとしておまえ・・・」
「布団を敷かんというのならしょうがない。このままで我慢してもらう」
 白い医師が、一歩前へ出る。
 せつらが、一歩後じさる。
「往生際の悪い男だな。治療代の代わりだと思って観念したまえ」
「やり方がきたないよ」
「君の協力で多くの患者が救われるのだ。秋くん」
「何が秋くんだ。この偽善者」
「観念することだ」
 そんなやりとりをしている間に、せつらは部屋の隅に追い詰められてしまった。


 壁面にへばり付きながらも、せつらは茫っとメフィフトを睨みつけている。
「そんなに嫌かね?」
「では、御願いする。これでいかがかな?」
 今度はせつらが溜息をつく番だった。
 こーゆーのと関わり合いになったのが、人生最大の誤りだったと言わんばかりに。
 それでも下を向いて頭をかりかりと掻きながら、
「どうすりゃいいって?」
 と訊いてきた。
「病気を感染させるには、肉体的な接触が一番だろうな」
 しごく厳粛な面持ちで、真面目に白い医師は答えた。




 つまりメフィストはせつらから、巷で流行っているインフルエンザを自らに感染させようとしているわけである。
 治療には病の正体を知らねばならず、正体を知るには自らが病に罹るのが最良の法 ――――― この医師の口癖のひとつである。合理的であると考えれば確かにそうだし、理にかなっているといえばいえるが、わけがわからないといえば本当にわけの解らない精神構造を持った男であった。
「このヘンタイ藪医者」
 当然のことながら、せつらの黄金の罵声をあびることになった。
「とにかく立っているのも何だ。座りたまえ」
 せつらの罵声など慣れっこになっているメフィストは意に介した様子もなく、改めてせつらに指示を与えた。
 壁を背にしていたせつらは、そのままズルズルと腰を畳の上におろした。目線はメフィストを向いている。
 メフィストはちょっとの間、そんなせつらの様子を眺めていたが、口元に笑みを浮かべると同じように腰をおろした。
 真正面同士で凝視めあう。
 せつらはメフィストを。
 メフィストはせつらを。
 つっとケープの内側から出てきたものは、メフィストの繊手であった。


 せつらの首筋に手をあて、次いで額に手をあてる。
「三十七度六分。いつから熱があったね?」
「ゆうべからさ・・・。大した事ないと思ったんだよ」」
「そういう時は勝手な自己診断をせずに、すぐに病院へ来たまえ」
 それは主治医としての言葉なのか、それとも想い人の台詞によるものなのか。
「わかったよ」
 せつらはメフィストの眼を視ながら答えた。
 メフィストはせつらの額にあてていた右手を、せつらの左頬の壁に置いた。
 そのままの姿勢でせつらに顔を寄せて行く。
 せつらもメフィストも眼は開けたまま。
 部屋の灯りが二人の影をおとしている。


 白い医師が入ってきた御蔭で、簡素で慎ましい和室は黄金色に輝く神殿と化したが、今やそこは失われた楽園へと変貌を遂げつつあった。
 誰一人目撃する者もなく、人の世にあらぬ七色の虹彩を放ちながら、物語の行く末をひっそりと見守っている。
 お互いの吐息がかかる。
 視線が絡み合う。
「口を開けたまえ」
 優しく甘やかに、白く輝く美の結晶が囁く。
 黒衣の若者が、熱のためにいつもより紅く色づいた唇をうっすらと開く。
 崇高な儀式さえ感じさせずにはおれないような冒し難い雰囲気の中で、メフィストの唇がせつらの唇に触れようとした、まさにその時――――――。
 せつらがいきなりメフィストを押し退けた。
 メフィストも、何をする、とは言わない。
 二人の視線が部屋の外の階段の方へと向けられた。




 しばらくするとそっと階段を上ってくる足音と共に、カチャカチャという陶器の触れ合うような音が聞こえてきた。
 部屋の外でぴたりと止まる。
「あのお・・・」
 十八かそこらの女の子の声である。
 バイトの娘だ。
「どうしたんだい?」
 せつらは店の主人らしい声で答えた。
「お茶を持ってきたんですけど、ここに置いておきます」
 襖一枚へだてた向こうで、床板の上に盆を置く音がした。
 せつらがありがとうと言うと、バイトの娘はまたそっと階段を降りて行った。
「やはりここでは落ち着かんようだな」
 襖の方へと黒瞳を向けながら、どこかしみじみとメフィストが呟いた。


 せつらはうんざりしたように、白い医師を凝視めた。
 きっと階下では〈魔界医師〉にお茶を出すべきかどうかで、さんざん揉めたに決まっているからだ。
 いつもだったら店の客以外に、彼女等はお茶を出したりしない。
“人捜し”のほうにも、ある事件をきっかけに関わらせないようにしている。
 思いもかけない白い医師の来訪は、バイトの娘達の頭をかなり混乱させたらしかった。
 せつらは右手で頬杖を付きながら溜息をついた。
 メフィストが視線をせつらに戻した。
「続けるかね?」
 なんの感情もこもっていないような口調だが、それでもせつらにお伺いをたてるように茫洋とした美貌を覗き込んだ。
「人の顔を覗き込むなったら」
 そう文句をつけながら、せつらはもっそりと立ち上がった。
「病院へ行くよ。そのほうがいいだろ?」
「ふむ」
「その前に店の女の子達も診てやってくれるかな?あの娘らも罹っているらしいんだ」
 いささか愛想笑いも含んだ、せつらの言い方であった。
ここら辺は計算高いというか、なかなか抜け目がない。
「承知した」
 白い医師からこの台詞を引き出すと、安心したようにせつらはメフィストの脇を通り過ぎようとした。
 いくら性格と人格と趣味に問題がある、医者にあるまじき相手だろうが、約束だけは守る男だからだ。
 白い医師も続いて立ち上げる。
 せつらが襖に手をかけた。
 開けようとしたまさにその瞬間、せつらの手の上に何か白い物が舞い降りた。
 それはメフィストの手であった。


“何をするんだ、このっ!”と、振り向いたせつらの顔をメフィストの顔の影が覆い――――せつらの唇にメフィストの唇が重なった。
 せつらは驚いたように眼を見開いている。
 メフィストの眼は閉じていた。
 最初は触れるだけの口吻けであったが、それはやがて執拗で、はっきりとした意図を持ったものに変わってきた。
 だが情欲ではない。
 せつらはそう感じた。
 だから逃れようとしなかったのかもしれない。
 いつのまにか瞼を閉じ力を抜いて、メフィストの行為を受け入れている。
 どれくらいそうしていたものか、メフィストは静かにせつらから唇を離した。
 深い宇宙の深淵にも似た黒瞳が、せつらを凝視めている。
 だが冷たい眼差しではなかった。



「とりあえず、君の熱を吸い取った」
白い医師が今の状況について簡潔に説明した。
「あっ、そう。そりゃ、どうも」
 せつらが憮然とした面持ちで言った。
 確かに昨日から続いていた奇妙な身体のだるさは消えてなくなっているようだった。
 だがせつらがメフィストのこんなやり方を、本当に了解しているのかどうかは解らない。
 メフィストはそんなせつらの様子を見て、少し目元をほころばせると、せつらを退けて襖を開けながら言葉を続けた。
「あとの治療は病院で、だ」
 そう言い終えると足音も立てず、身体を揺らす事もなく、静かに滑るように階段を降りて言った。
 せつらは茫っと、突っ立ったまま。
 途中、白い影は振り返り、
「何をしているんだね?早く来たまえ」
 と黒衣の若者を促した。
 せつらはしばらく微動だにしなかったが軽く溜息をつくと、知り合ったのが運のつきだな、と独りごちながら部屋の灯りを消して、メフィストの後を追うように階下へと降りて行った。



                               Fin







                         ◆後記◆
 この小説『微熱』は、一番初めに出した【魔界都市ブルース・シリーズ】の同人誌、タイトル『魔天』の中に収めた物です。
 本当にハマりたてというか勢いがあったようで、最初の本だというのに何と128ページもあった物なのでした。(!!!★)
 自分でも改めてびっくりしてしまいますが、冬コミに合わせた発行だったようで発行年月日が1996年の12月28日となっております。たぶんこれくらいの本を創るには自分のペースで半年くらいかかってしまうし、小説は比較的最初に書いてしまうので、約10年前くらいの物であると思います。

 そうかあ・・・、そんなに前なんだな・・・。
 と思わず感慨もひとしお、と言いたいところですが、当時の自分の漫画の酷さに眩暈がしそうになってしまいましたよ。
 ええ、ええ。部数が少なかったのが(100部でした)、せめてもの救いです。
(当時お買い上げ戴きました方々、本当に申し訳ありませんです・・・★)

 今更再販する予定もないですし、小説ならばご愛嬌と言う事で済まされるだろうと思い、もう一度PCで打ち直しながら、いささかの訂正も加えまして、ここに載せさせて戴きました。それと再度打ち直しながら憶い出したのですが、この年に自分も本当にインフルエンザに罹ってしまい、えらい目に遭ってあっていたんですよね。いろんな意味を含めて実に懐かしい小説です。
 最後までお読み戴きまして、ありがとうございました。

 他にも再販するつもりのない小説が何本かありますので、少しずつでもHPに載せていけたらと思います。
 もし今回初めてお読み戴けまして気に入って戴けたようでしたら、どうぞまた覗いてみてやって下さい。


 こういった自分の駄文でしかもパロの後にこんな話をするのも何なんですけど、菊地御大の文章と言うのは実に特徴のある文体だと思うのですよ。
 あんまり本を読まない自分がこんな事を言うのはおこがましいのですけど、書いてらっしゃる内容がハードなアクション物が多いにも関わらず、ふっとした隙間にとても感傷的かつ、叙情的な感覚のエアポケットに陥ってしまったような箇所がありまして、御本人もブラッドベリィがお好きであるとのお言葉通り、それがこの【魔界都市ブルース・シリーズ】の短編の方に顕著に現れているのだと思います。

 どちらかというと私も短編の方が好きなのですが、特に初期の短編集【魔界都市ブルース 哀歌の章】等は実に素晴らしい御本でした。
 このシリーズをお読みになっていない方で興味を持たれた方は、そういった短編から入られると読みやすいのではないかと思います。

 話はいささか変わりますがせつら絡みというか何と言うか、この小説のシリーズは再三メディアミックス化の話があったようで(人気のあるシリーズなので、それはもちろんそうなのでしょうが・・・)、漫画化の話もずいぶんあったようです。

 やっぱりFanとしては小説を自分のイメージで読んでいるもので漫画化というのは嫌なものというか抵抗があるものなのですが、川尻監督のアニメだったらOKかな・・・、と思います。
 これは川尻監督の【吸血鬼ハンター D】を観てそう思ったのですけどね、実際【ブルース】は動きもあるしどちらかというとアニメの方が向いている気がします。ただ声なのですが・・・、これは妥協しざるを得ないでしょうねえ・・・。(どうしたってあの方々の声を再現するのは無理ですよ。無理。あ、美貌もか。★・・・笑)

 あえて漫画化するとしたら、う〜ん。自分にとっては偶然と言いますか何といいますか、『ヒカルの碁』絡みなのですが、小畑 健 先生かなあ・・・。この方は以前、菊地御大の本の表紙も担当した事がありますし、何より原作を漫画化できる表現力はバツグンで折紙付きですからね。
 どうしてもというのなら、小畑先生なら納得かと思います。(というか、ちょっと見てみたい気もする・・・)
きっとスタイリッシュでクールな画面にきめてくれるのではないかと思います。(^.^)
 
 【D】の話も出たのでついでに、できたらまたアニメ化してくれないかなあ・・・、と思います。川尻監督のアニメ化された【D】はまさに絶品でした。周りのFanの知り合い関係・お友達関係にもとても評判が良かったので、作品としては実に秀作だったのではないかと思います。
 続編の予定はなくはないそうなので、各スポンサー様方、よろしく御願い致します。(^.^)
(どこが“後記”なんだか・・・爆★)