06

せつらはタンスの扉にもたれ掛かり、腕を組んで立っている。
 対してメフィストは、せつらの前で身の置き所がないように立ち尽くしている。
 外は眩いくらいの陽光溢れる一日を迎えているのに、この部屋だけ夕暮れの趣きを湛えていた。
 気まずい沈黙をせつらが破る。
「別に・・・いいさ。昨夜の事は忘れるよ」
 メフィストが顔を上げる。
 今度はせつらが顔を伏せる番だった。やや沈んだような口調で言葉を続ける。
「これまで通りに付き合えるさ。おまえも期待はずれだっただろうけど、なかった事にできるよな」
 それだけを言うと身体の力を抜いて、メフィストの言葉を待った。「わかった」という、言葉を。
 それを聴きさえすればせつらはこの部屋を出て行き、いつもと変わらぬ日常を送る事ができるのだ。

「なんのことだね?」
 ところが帰って来た答えは、心底訳が解らないといった感じの、メフィストの意外そうな台詞であった。
 せつらは顔を上げて、茫とメフィストを見つめた。
 こちらも訳が解らぬといった感じである。
 だがしばらくすると、だんだんと憤然とした表情に変わっていった。
 人がせっかく、割り切ってやろうとしているっていうのに、こいつは――――・・・。

「おまえ・・・」
 もう一度睨みつけてやる。
「僕が“私”に変わらなかったから、がっかりしたんじゃなかったのか?」
 恐らくこの時の、メフィストの驚愕振りを目の当たりにした者など、世界中を捜したっていなかったに違いない。
 せつらでさえ、初めて見るのだから。
「君は・・・」
 ようやく搾り出したような声だ。いつもの艶やかな音色の響きはまるで感じられない。
「君は、私が側にいなかったのは、君が“私”に変わらなくて―――私が君に幻滅したからだと、そう言うのか?君は・・・・・」
 あきらかに狼狽していた。
 せつらはそんなメフィストの態度を唖然と凝視している。
 こちらの表情も一目でそれと解る驚き振りであった。
「じゃあ・・・」
 せつらの声もかさかさに掠れた様な響きにしか感じられない。虚ろに台詞を棒読みしているかのようだ。
「なんで今迄、顔を見せなかったんだ?昨日の今日で病院が忙しいっていうのはわかるけど、だけど・・・」
 せつらはその後に続けようとした言葉を呑み込んだ。


―――――だけど、おまえは僕とゆうべ・・・。

 メフィストはせつらの心情を読み取ろうとするようにせつらの次の言葉を待っていたが、せつらがそれ以上何も言わないのが解ると、諦めたように口を開いた。
「君が・・・怒っていると思ったのだよ」
 せつらは眼を丸く見開いた。
 言葉がない。
 メフィストが何を言っているのか解らない。
 で、次のメフィストの言い分を待った。
「私は昨夜の君が、いつもと様子が違うのを知っていた。それなのに無理にでも君と関係を結ぼうとした。君が目醒めた時に側にいなかったのは、きっと君が私の顔を見たくないと思ったからだ」
 せつらは、ぽかーんと口を開けた。
 何とか頭はメフィストが言った事を整理しようと努めている。
 つまり、何か?
 手を出したくて出したはいいが、好きな相手から嫌われたのが怖くて逃げた・・・、と。
 ――――――ドクター・メフィストが。〈魔界医師〉が!


 (うぶなネンネじゃあるまいし・・・)
 思わず昔の古い歌の一節が、頭の中を横切ってしまう秋せつらであった。
 こっ恥ずかしくなってしまった。変な噂よりもタチが悪い。
“こんな事が〈区内〉に広まりでもしたら・・・それこそえらい恥晒しだ。
 特に、外谷良子なんかに知られでもしたら・・・” 
 それだけは願い下げだと、せつらは痛切に願った。
 既成事実を持ったかどうかという噂よりも、そちらの方を気にしてしまう、おかしな若者であった。
 しかしよく考えれば、この二人が喋らなければ誰に知れるわけでもないのだが、つくづく変な事を気にする若者であった。 
 だが確かにいつものせつらだったら、自分にそんな行為に及んだメフィストに対して、怒りを感じないわけがないのだ。
 しかし実際は白い医師がいなかった事に始終気をとられて、怒る事も忘れてしまっていた。
 メフィストが傍らに居なかった事は、却って奇妙な効果を生んだと言っていい。
 せつらは下を向いて、かりかりと頭を掻いた。髪はまだ湿っている。
 どういう行動に出たらいいのか考えあぐねていた。ひょっとしたら今迄の人生の中で、一番やっかいな場面に遭遇しているのかもしれない。



 不意にその髪に触れる手を感じて、頭を上げた。
「怒っているのかね?」
 きわめて真摯な問いだ。自分の想い人に対して、せいいっぱいに誠意を尽くそうとしている態度といえた。皮肉で肌を磨いているようなこの男としては、精一杯の努力の証であろう。
 “別に怒っちゃいないけど・・・・・”
 正確には忘れていたという方が正しい。それと今の、お互いの勘違いで毒気を抜かれた。
 だが正直にそんな事を言うのも癪だ。せつらはわざとそっくり返るような横柄な態度で言った。
「まあね」
 メフィストが下を向いて溜息を吐く。
 せつらは笑いを堪えるために、口元に手をあてている。
 ふっと昨夜の事を憶い出した。
 訊いてみたくなった。
「おまえ結局、僕の事を抱かなかったよな?」
 メフィストがせつらを見つめた。
「君が男と寝るのは厭だと言ったのでな」
 せつらは、ふうんと理解した。
 メフィストはせつらの意志を尊重したという事だ。
 前半のキスやペッティングは、まあ・・・、これは横に除けておいて、イかされてしまったのもこれも癪だけど、横に除けておいて・・・、と。それ以上の肉体的な交渉はもたなかったという事だ。
 もっともその後で起こった事を考えると、それも意志を解放させるための手段だった・・・、ともいえる。


 あれは――――絶対にそれこそ認めたくはなかったが、面白くて素晴らしい体験だった。
 せつらは笑っていた。心の底から。
 今迄生きてきて、そんなふうに笑えた事などあっただろうか。
 何もかもが至福で満たされ、祝福を受けていた。
「あとの、あれって何?」
 メフィストの口元に笑みが拡がった。
 穏やかな微笑だった。
「夢――――と言っていい。実際は潜在意識のずっと深い部分の具現化だが、意識の底で繋がっている、宇宙の視る夢だよ」
 せつらは小首を傾げて聴いていたが、首を元に戻して言った。
「僕は前に夢になった事があるけどね」
「ふむ」
 とメフィスト。
“でも、あれは・・・・・”
 何だか・・・・・とても懐かしいものに触れているような感覚だった。
 忘れていてやっと戻って来たよ、というような何かそういう感じに近いような・・・・・・・。
「おまえが感じて欲しいって言ったのは、あれ?」
 メフィストは沈黙して微笑んでいる。
「夢って言ったけど、おまえの視る夢って、いつもああなの?」
 質問が多い。興味があるのだろう。
 だけど―――――〈魔界医師〉に夢とは?
 必ずしも眠っていて視るのだけが、夢とは限らないかもしれないが。
「時々は・・・・・。全く違ったものである事もある。あそこまで体験できたのは、おそらく君が一緒にいたからだろう」
 なんだか納得できたような、できないような・・・・・・・。
 せつらはもう一度、ふうんとぼんやりと呟いた。
 メフィストもいつもの冷静さを取り戻していた。ただし眼には柔らかな光を宿している。 



「面白かったかね?」
 ふいにメフィストに訊かれて、せつらは思わず「うん」と頷いてしまいそうになるのを、何とか堪えた。
 危ない。危ない。この白い医師を図に乗らせると、次はどういった目に遭わされるか解らない。
 常に用心を怠るべからずである。
「別に」
 なるべく素っ気無く答えてやる。
 だけどメフィストには本音が解るのだろう。やや、せつらににじり寄って妖しく囁いた。
「私としては、別の可能性も試してみたいのだが・・・・・」
 せつらは醒めた気分で、しらっとして聞いている。
 全くこいつときたら、人が大人しくしてやっていれば好い気になって―――――・・・。
「い・や・だ・ね」
 わざと一語一語区切って、せつらがきっぱりと言い放つと、メフィストがもう一度、下を向いて溜息を漏らした。
 それをせつらは愉しそうに見つめている。
 気を取り直して「朝食を用意しよう」と言うメフィストに、「下心がなきゃいいよ」とせつらは駄目押しの厭味で止めを刺し、メフィストは再び溜息を吐いた。



 外では〈区〉を挙げての、街の復興作業が全力で行われている事だろう。
 そして〈魔都〉として新たに蘇ったこの街の、また変わらぬ戦いの日々が始まるのだ。
 だがそれでもその中で、変わっていくものもあるのかもしれない。
 今はまだ、その片鱗たりとも伺い知る事はできないが・・・・・。
 しかしそれはまた、別の物語となる。

                                         Fin


                     ◆後記◆
 この 『想瞬賦』 という小説は、今から10年ほど前に出しました同人誌 【Shangri-La】 に収めたものです。 同人誌の発行年月日が、1997年12月28日となっているので、この年の冬コミ合わせで出した本ですね。 (この時に頼んだ印刷所が、確か倒産した所だったと思うので、それを考えるとちょっと切ないかも・・・★) 内容的には粗筋は変えないで、言い回しや表現の仕方、あとラストはちょっといじりましたが、ほとんどそのまま載せました。 拙い文章ですが最後までお読み戴きまして、まことにありがとうございました。

 しかし・・・、ネットに載せるという事は自分でもう一度読み返す訳で、何と言いますか・・・、もうね〜読んでいて恥ずかしくって、恥ずかしくって〜。。。。。(^.^;) ★ 何が恥ずかしいって、内容がゲロ甘なのは別にそういうお話だから別にいいンですけど(・・・いいのか?) 、「わたしはこんなにもこのキャラを愛しているのよ〜ッ!」 という闇雲な自己主張が、臆面もなくむき出しになっていて恥ずかしくってしょうがないンですよ。。。いえ、もちろん同人なんてやるからにはとてもではないですが、その物語や世界観やキャラに愛情がないと無理なわけで、それはそれでいいンですけど、あんまりそれを前面に押し出し過ぎるとカッコ悪いな・・・、と最近になって特にそう思うようになったもので・・・・・。 (2007年6月現在。そのうちにまた意見が変わったりして・・・★)
 作品はそれ自体が面白ければそれで良いのであって、ぶっちゃけて言えば書いている本人が、ああだのこうだのと言う話ではないと思います。あくまでも読み手主体なのですから、読む人が面白いと思ってくれればそれでいい。
  でもそこは同人なので、裏話なんかも読んでいる方は結構愉しめたりするのもあるンですけど、まあ・・・、程ほどにかなあ。。。。。
 これの以前に“精神世界”関係にハマっていたので、それの色合いが強いのもこの小説の特徴ですね。。。。。

 エロに関しては隠しページにするほどのものではなかったと思うので、変に期待(?)してしまった方がいらっしゃいましたら。ゴメンなさいです・・・。(★) このような方法を取った理由には、一つにはこのジャンルでは、白黒のお二人さんがキスするのも厭ッ!という方が多いのと、あくまでもネットという環境なので子供が不用意に見てしまうかもしれないというのと、上記に挙げている様に、この頃の作品は思い入れの強いものが多過ぎて、今では自分でもえらく恥ずかしいという (その中でもこれは一番強いような気が・・・。つーかこの人達って誰?、状態なンですけど。。。爆★)、三つの理由によるものです。
 だから本当に大したものを書いていたわけではありません。
 ちなみにこれは、小説 『夢魔』 へと続きますけど、そっちの方がまだ恥ずかしくなかったりして・・・・・。 (目的?がハッキリとしているせいかなあ・・・) まあ、メモリアルという意味でネット掲載をさせて戴きました。 (こらこら★)
  しかし、懐かしい作品ではありますね。。。。。